世界が眠っているあいだに――パレスチナの物語、言葉、傷
著=フランチェスカ・アルバネーゼ 訳=原口 昇平
2026年8月4日発売
世界よ、目を覚ませ。
一つの民族が負った巨大な傷を前に、石のように眠り込む世界。私たちはどこへ向かうのか。パレスチナをめぐる十の問い、十人の物語。人びとが異質な他者への共感共苦を通じて、人間という仲間として再び出会うための希望の書。
目次
はじめに 連帯は愛の政治的形態であるか
ヒンド パレスチナにおいて子ども時代とはどういうものか
アブーハサン 占領の結果として何がもたらされたのか
ジョルジュ エルサレムで生きるとはどういうことか
アーロン いかにして一人の人間が反ユダヤ主義と認識されるのか
イングリッド アパルトヘイトはどうすれば打倒できるか
ガッサーン ジェノサイドのむごたらしさはどこまで行ってしまうのか
エヤル 一つの民族の破壊を引き起こす条件はいかにして企てられるのか
マラク 難民にとって故郷はどこにあるのか
ガボール どうして人びとの記憶を守ることがそれほど大切なのか
おわりに 習癖としての希望
謝 辞
参考資料
訳者解説 抵抗する物語たちよ、これからの私たちを作れ 原口昇平
はじめに―連帯は愛の政治的形態であるか(抜粋)
〔……〕ベルリン滞在中、エヤル・ヴァイツマンがガザの友人たちから聞いた話を私に語ってくれた。デイル・アルバラハに住む複数世帯が食料難に直面し、わずかな備蓄を守るために協力体制を組んだという。「パンや小麦粉を見張る警備員を置かなければならない」ということだった。するとイスラエル兵がパン店のオーナーに電話をかけてきて、これをやめるよう命じた。「警備をやめさせなければ、おまえたちも、パン店も、警備員らも爆撃する」という。まったくナンセンスだ。
今日、次のような論法をよく耳にする。「ああ、でもイスラエルはパレスチナ人を滅ぼしたいなんて少しも思っていないよ。イスラエルはただハマースを根絶したいだけさ」。または、こうだ。「イスラエルは人質を解放したがっている。ハマースが人質を解放しさえすれば……」
このようなことを言う人びとに私は言っておきたい。何よりまず、イスラエル軍はパン店を爆撃したり、何万人もの子どもを殺したり、その一〇倍の数の子どもの四肢に障害を負わせたり身寄りをなくさせたりするまでに至っている。そうした行動は、動機とされる人質解放やハマース排除と、明らかに一致していない。たとえそうした目的が危険なほどあいまいな場合はあるとしてもだ。そもそも、少し考えてみればよい。ハマースとは誰か。戦闘員か、二〇〇六年にハマースに票を投じた人か。ハマース当局のもと、病院で働いていた人か。占領に抵抗する人か。ジェノサイドに反対する人か。
もっとも、こうした動機づけは、イスラエルのリーダーやしばしば命令に従うばかりの極めて若い数十万人の兵士たちの頭の中には、本当に存在しているかもしれない。しかし、そうした動機づけは、集団殺害犯罪の認定において「意図(intent)」または専門用語で「故意(mens rea)」と呼ばれるものとはまったく関係がないということを理解しておくことがとても重要だ。破壊の意図とは、破壊の決断として解釈されねばならない。ある集団を破壊する考えが着想され、表現されるとき、その動機が何であろうと―たとえ合法と推定される防衛であろうと―ジェノサイドの気配は充満している。
ジェノサイドは極めて重大な犯罪であり、今日の時代では保障や防止の仕組みが国内法にせよ国際法にせよさまざまな法体系の中に存在する以上、発生する可能性そのものがあってはならない。ところがイスラエルが犯してきたのはまさしくこれなのだ。イスラエルのリーダーたちがこれを計画し、イスラエルの兵士がこれを遂行し、あまりにも大勢の西洋の政治家たちがこれに加担している。そして主要メディアは、イスラエル大使館と「西洋の最後のフロンティア」であるイスラエルを支持する極めて強力なネットワークからの言いつけを破らないように現実を否定し、希釈し、歪曲することで、これを忌々しくも黙認している。
集団の破壊は、残虐さの程度によらず、まったくの「戦争事故」のような偶発的なものではなくて意図的なものである場合、集団殺害犯罪を構成する。こうした意図的な破壊が、パレスチナ人の身体、社会生活、精神、命に対して実行されてきた。ガザはその最も残忍で最も凶悪な劇場とされたのである。
殺人、身体損壊、拷問、性的暴行、飢餓、飢饉が、誰が加害者で誰が被害者かによって報道されたりされなかったりする社会は恐ろしい。この点について私は国連特別報告者の任期中ずっと何度も自問してきた。私自身が「不偏不党」の意味をめぐる議論の中心に繰り返し立たされてきたからだ。
人命がかかっているとき、不偏不党であることは義務となり、法、正義、犠牲者の側に立つよう私たちに強いる。不偏不党であることとはすなわち、正しいことを擁護し、沈黙の下に置かれてきたか単に無視されてきた存在に声を与え、この世界を苦しめる横暴に抗って闘う勇気である。
不偏不党という理念は、残虐行為を前に意見をもたないかのようなふりをすることではない。対立する二者の立ち位置が構造的かつ歴史的に不平等であり、一方が占領し、略奪し、抑圧する者として、他方が占領され、略奪され、抑圧される者として、悲惨な暴力のメカニズムを駆動させているというのに、そんな場合でも両者から等しく距離を取り続けねばならないとうそぶくことは、不偏不党ではない。
真実が虚偽となり、虚偽が真実となることが、どうしてありえるものか。
私たちを抱き込むかそれができなければ打ち負かそうとしてくるこのはびこる悪に、私たちは意識と行動をもって応じなければならない。知ることこそ根本的な防衛手段だ。なぜなら知識は、人心操作、搾取、欺瞞に対する最良の盾だからだ。そして行動は知識から自然にあふれ出すはずだ。
それにしても私たち全員にとって―パレスチナ人にとって同様にイスラエル人にとってもまた―救済の可能性はいかなる仕方でありうるだろうか。私には見える。今はまだ想像の中だけであるとしても、私には見えている。私たちをそこまで導く道筋の形も見えている。しかも、このビジョンは実は共有されている。ジェノサイドの始まりから私の中に希望を、光を、基準点を見出してきたすべての人びとは、思いもしなかったほどの力を私にもたらしてきた。良心は、恫喝訴訟や、死の脅迫や、自分にとってこの世で特に愛おしい存在に対し何かが差し向けられるかもしれない恐怖をものともせず、正しい理想のために闘えと、私たちの一部に逆らいがたい仕方で命じている。
ひとは連帯(solidarietà)の真の根本的意味を再発見し、人間という仲間として再び出会うことができると、私は心の底から信じている。語源のラテン語 solidum はまさに、「全体で一つ」という観念を含意している。それは一人も置き去りにしない不可分の全員であり、よく引き裂かれたり細かく砕かれたりするものの対極にある。そのように一つの集合体として、私たちは団結し、交流し、抵抗するに至らなければならない。この意味で、ユダヤ系アメリカ人ラビのアリッサ・ヴァイスが賢明にも指摘したように、連帯は「愛の政治的形態」となる。
私たちは一人ずつでは蝶の羽のようにもろいが、しっかりと連帯し全体で一つになれば嵐を起こせる。現実離れした誇張ではなく、バタフライエフェクトと呼ばれる物理法則だ。私たち一人ひとりの小さな身振りが、結果の連鎖の始まりとなる羽のはばたきなのだ。ちょうどアイルランドの街に山ほどあるスーパーの一つに勤めていた大勢の店員の中の一人、メアリーの身振りのように。どうすれば私たちは信じられるだろうか、客が買うグレープフルーツをレジで通すかどうかという彼女の選択が、長期的に、南アフリカのように彼女から遠く離れた国におけるアパルトヘイト体制の打倒に影響を与えうると? それでも私たちは信じねばならない、これが起きうると歴史が私たちに教えてくれているのだから。
個人にせよ集団にせよ解放と自由のための複数の闘いを相互につなぎながら、私たちは私たちの全員で一つの集合体(solidum)を獲得しなければならない。共にあれば、私たちはどんな挑発にも立ち向かえる。
だから羽をはばたかせ、嵐を起こそう。いや、私の故郷の言い方でいうならば、大騒ぎを起こそう!(facciamo ammuìna!)
よい読書を
フランチェスカ・アルバネーゼ
著者・訳者略歴
フランチェスカ・アルバネーゼ (著)
(Francesca Albanese) 1967年以後占領されているパレスチナ領域の人権状況に関する国連特別報告者。法律家、教員、研究者であり、国連人権高等弁務官事務所や国連パレスチナ難民救済事業機関の勤務経験もある。
原口 昇平 (ハラグチ ショウヘイ) (訳)
詩人、翻訳者、ライター。「現代詩手帖」パレスチナ詩特集に共同企画者・翻訳者として参加。2026年4月から東京藝術大学非常勤講師(イタリア語)。

2026年8月4日発売
四六判上製、296ページ、2800円(税別)
書籍 978-4-86863-005-0

