狂気の時代――人類と核の80年

核戦争による人類絶滅という断崖の淵をさまよいつづけた80年間。核使用の悪夢が再び現実となりかねない今、絶望とカオスは去っていない。


もくじ

はじめに――三つの倫理的使命
第1章 マンハッタン計画
第2章 HIBAKUSHA(被爆者)
第3章 核実験、原発と被爆国、核有事
第4章 核戦略下の日本と「第四の被曝」
結びに 光を求めて

太田 昌克 (著)

(おおた・まさかつ)1968年富山県生まれ。共同通信編集委員(論説委員兼務)。早稲田大学と長崎大学で客員教授。博士(政策研究大学院大学)。92年に共同通信入社後、広島支局を振り出しに核問題を国内外で30年以上、取材。ボーン・上田記念国際記者賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞を受賞。主著に『日米「核密約」の全貌』、『核クライシス』。テレビ朝日「報道ステーション」などのニュース番組でレギュラーコメンテーターを務めてきた。

はじめに――三つの倫理的使命

「私のいつもゆきつくところは、原子爆弾を投下したアメリカへの憤りではなく、この悲惨さを知りながら、あえてこれを行った人間の心の恐ろしさであった」
今から八一年前、長崎で自ら被爆しながらも、原子野で被爆者の治療に奔走した医師の秋月辰一郎さん(故人)が『長崎原爆記』に残した言葉だ。同じ人間が同じ人間に対して、よくもこれだけ残虐な兵器を使えたものだ 。こんな絶望感に打ちひしがれた秋月さんは、こうも綴っている。
「被害者である私たちも、立場が異なれば、いつ、いかなる場所にか原爆を投じないとはいえない」
一九四五年八月、人間が同じ生身の人間の頭上に落とした核兵器は突如、表面温度が数千度の火球を地上に出現させた。爆心地周辺にいた人たちは、わが身に何が起きたかすら分からぬまま、その存在を一瞬にして消滅させられた。
「悲しみを言葉に出せ。口に出さない嘆きは、重荷で押しつぶされそうな心につぶやきかけ、心を壊してしまう(Give sorrow words: the grief that does not speak Whispers the o’er-fraught heart and bids it break.)」
これは、シェークスピアの名作『マクベス』にある一節だ(訳は筆者)。戦闘員も非戦闘員も、老いも若きも男も女も、人間や動物、植物も関係なくすべてを溶かし、焼き尽くす残虐兵器の前では「痛い」「苦しい」「助けてくれ」のひと言を発する間さえない。ほとんど何の予兆もないまま、生きとし生けるものに突然、死が襲いかかる。
そうではなくとも、熱線と爆風に身体を激しく痛めつけられ、数日間から数週間のうちに無念の思いで天空に旅立っていった被爆者も無数にいた。加えて、生き残った者たちはケロイドやトラウマ、生活苦に戦後長く懊悩し、放射線が肉体に残した「刻印」に今この瞬間もおびえ続けている。
同じ人間がつくった核兵器に痛めつけられ、傷つけられ、苦しめられる者は、日本だけにとどまらなかった。ビキニ環礁などの太平洋をはじめ、中央アジア、北アフリカ、米国といった世界各地で繰り返された核実験は無辜の民から故郷を奪い、彼ら彼女たちの人生を無情なまでに翻弄した。これらの非道な仕打ちも、同じ人間が同じ人間に成し得た所業に他ならない。

私が核の問題を真剣に考え始めるようになったのは、今から三二年前の一九九四年。共同通信社の広島支局に赴任して三年目、被爆四九年を迎える初夏だった。JR広島駅から五〇分ほど電車に揺られ、ある被爆者のご自宅を訪れた。母親の胎内で被爆しており、この年、四八歳になっていた。
お母さんのお腹の中で放射線に射抜かれ、それが原因で原爆小頭症という原爆症に認定されていた。原爆小頭症は生まれながらにして頭囲が小さく、知的、身体的な発達が先天的に妨げられる。被爆八〇年の二〇二五年時点で、厚生労働省が生存を確認しているのは一一人だ。
このとき取材させていただいた小頭症被爆者の方は、食事や洗濯といった身の回りの世話をご自身で行うことができなかった。そのため、いつも傍らにおられるお父さんがお手伝いをされていた。取材中に出くわした夕食の場面では、ちゃぶ台越しに「おいしいか、おいしいか?」と愛娘に呼びかけながら、匙でお米などの食材をひと口ひと口、運ばれている姿が印象的だった。
二時間ほど取材させていただき、帰ろうとした際、お父さんはこう語気を強められた。
「わしゃ、どげえなってもええんじゃけど、この子はどげえしてくれるんじゃ」
しわがれた広島弁での叫びは、この時から三十余年の歳月が過ぎた今も私の両耳にこだまし続けている。お父さんはこの取材から一四年後に亡くなられた。
生活に不自由さが残る娘を残して先立つことの無念さ。自分が天空に旅立った後のことがただ心配で心配でならないという親心。愛する娘のことをただ思いやることから募る不憫さ。ご自身と家族を苦しめ続けた原爆のおぞましさとむごたらしさ。絶対悪の兵器に対する際限なき怒りと憎しみ……。
強靱な「反原爆」の思想と哲学を心の奥底で紡ぎ続け、それを体現してこられたお父さんの魂の叫びは、同じ人間として生涯忘れ得るものではない。

二〇二五年に逝去したローマ教皇フランシスコは二〇一九年、晩秋の広島を訪れ、こんな至言を残している。
「わたしたちは歴史から学ばなければなりません。思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは、倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この三つには、平和となる真の道を切り開く力があります」
この本は、人類が核と向き合い続けた八〇年余の歩みをできるだけ丹念に掘り起こすことで、教皇の説いた「三つの倫理的命令」を愚直に実践しようとした、一記者のささやかな試みである。二〇二四年七月にスタートさせた共同通信社配信の長期連載「人類と核の80年」(計五〇回)の大方を収録しており、本書のために加筆や修正を施した。
二年間、連載を執筆し続ける中で私の念頭にあったのは、冒頭に紹介した秋月医師の警句だった。核使用の悲惨さと凄絶さを知りながら、あえてこれを行った人間の心の恐ろしさ、同じ人間が同じ人間に対して残虐兵器を使ってしまう非情さと非人間性 。
広島と長崎への原爆投下で始まった人間の「狂気」は、米国とソ連が大量の核兵器でけん制し合いながら冷酷に対峙した冷戦時代を経て、人工知能(AI)が核戦略と融合しつつある現代にまで生きながらえているのかもしれない。
まず第1章で、「原子の火」を核兵器にした「二〇世紀のプロメテウス」たちのストーリーから始めたい。第2章では、その悪魔の兵器が立ち上らせた「きのこ雲」の下にいた人たちと、被爆者と伴走し続ける人間の物語を綴る。第3章では冷戦中の米国の核実験や核戦略をめぐる秘話の発掘に努める。続く第4章は、原爆を落とした国と落とされた国、日米両国の核に関する裏面史を解き明かす。最後に「狂気の時代」を再体験していただいた総括として「結びに」を記す。
核を持つ国が核を諦めた国を侵略したロシアのウクライナ戦争、外交交渉のさなかに二つの核保有国が問答無用の武力行使に出た米国とイスラエルによるイラン攻撃、歯止めの利かない北朝鮮の核強国化、「トランプ時代」という混乱の間隙を突いて核増強に邁進する中国の動き……。
私たちが生きる現代は、八一年前にあった核使用の再現すら憂慮される未曽有の「核カオスの時代」にある。「結びに」では、そんな混迷と混沌の同時代に生きる賢者の姿を追うことで未来への光を探し当てたい。
歴史から学びを得ることで、先人の苦難の道のりを思い出し、それを糧に共に歩み、現代と明るい未来を創っていきたい。そして、残念ながらこれからも続く核時代を生きる者の「倫理的命令」とは何かを、読者の皆さまと一緒に悩み考えたい。


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